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世界遺産山反射炉

世界遺産(せかいいさん)になった韮山反射炉(にらやまはんしゃろ)って、
ばってんがとってもかっこいいよね。
でも、そもそもどんなもので何のためにつくられたのか分からないんだ。
おしえて、坦庵(たんなん)さん♪

よし、ここは、
わしがじきじきに説明してしんぜよう。

 

韮山反射炉(にらやまはんしゃろ)ってなに?

反射炉(はんしゃろ)とは、鉄を溶かして大砲(たいほう)を作る炉のことじゃ。炉の内部の天井に熱を反射させて高い温度を作り出し、鉄を溶かしたことからこの名前がついたんじゃ。溶かした鉄は、大砲の型に入れて冷やし固めた後、中をくりぬいた。大変な作業だったんじゃぞ。今は、反射炉しか残っていないが、大砲を作っていたときには、周りには、大砲工場があったのじゃ。当時の日本としては、最先端技術(さいせんたんぎじゅつ)をもった最新鋭(さいしんえい)の工場が伊豆の国市にあったということじゃな。

韮山反射炉は、江戸時代の終わりごろ、外国から日本を守るために、わし江川太郎左衛門英龍(えがわたろうざえもんひでたつ)が幕府の命を受けて造ったんじゃ。実際に鉄を溶かした反射炉は、日本でもこの韮山反射炉しか残っていないんじゃよ。

ちなみに東京にあるお台場も、韮山反射炉で造った大砲を置くために、わしが責任者となって造ったんじゃ。

反射炉

現在の韮山反射炉

なんで世界遺産(せかいいさん)になれたの?

韮山反射炉はとっても貴重(きちょう)なものなのだが、ひとつだけで世界遺産になったのではない。「明治日本の産業革命遺産鉄・製鋼、造船、石炭産業(めいじにほんのさんぎょうかくめいいさんいてつ・せいこう、ぞうせん、せきたんさんぎょう」という23の仲間で世界遺産になったのじゃ。

この23の仲間は、今から160年くらい前から約50年ちょっとというとても短い間に、ヨーロッパの技術(ぎじゅつ)に追いつこうとがんばって、自分たちの力で今の豊かな日本の基礎(きそ)を作ったことを証明(しょうめい)するものなのじゃ。ちょっとむずかしい言葉かもしれんが、「『日本の近代化』を成し遂げた仲間たち」ということになるな。

この、びっくりするくらいの速さで、しかも自分たちの力で、ということが、世界中から見てもとってもすごいことなので、世界遺産になれたわけじゃ。

23の仲間は、完成から100年以上たった今も実際(じっさい)に使われている大きなクレーンや、軍艦(ぐんかん)のように見える島など、ユニークなものたちばかりなので、調べてみると楽しいじゃろう。

そもそも世界遺産(せかいいさん)ってなに?

世界遺産というのは、いつの時代でも、世界中のどの国の人からみても、とても価値があると認められたものだ。有名なところでは、エジプトのピラミッドや中国の万里の長城(ばんりのちょうじょう)など、日本でも法隆寺(ほうりゅうじ)や姫路城(ひめじじょう)、小笠原諸島(おがさわらしょとう)や屋久島(やくしま)の自然などがあるぞ。ユネスコという国際的な組織が、年に1回会議を開いて、各国からでてきた世界遺産候補が、本当に世界遺産にふさわしいのかどうか審査(しんさ)するのじゃ。韮山反射炉を含む「明治日本の産業革命遺産鉄・製鋼、造船、石炭産業」は平成27年7月8日に世界遺産になったのじゃ。ちなみに、静岡県では、平成25年に世界遺産になった富士山に続いて、2つ目の世界遺産ということになるぞ。

 

 

静岡県には、富士山と韮山反射炉の2つの世界遺産があるのじゃ。

 

 

江川坦庵(えがわたんなん)ってどんな人?

わしのことかの?わしの本名は、江川太郎左衛門英龍(えがわたろうざえもんひでたつ)。江川家第36代当主にして、韮山代官(にらやまだいかん)である。よく「坦庵(たんなん)さん」と呼ばれるが、それは、絵を描いたりするときの名前で、親しみをこめて呼ばれた名前じゃ。昔の人は、何個か名前をもっていたのでな。代官というのは、今で言うと県知事のようなものじゃ。代官といっても悪代官ではないぞ。民衆のことを考えて、政治を行ったんじゃ。その結果、「世直し江川大明神(だいみょうじん)」というのぼり旗(ばた)までたったんじゃぞ。

わしが生きていた江戸時代の終わりごろは、いろいろと騒がしい時代じゃった。わしは常に「どうしたら、日本を守れるのか」ということを考え、いろいろなものを作った。韮山反射炉、品川台場(しながわだいば)、農兵制度(のうへい)、そうそう、日本にパンを広げたということで、「パン祖」という称号ももらっているぞ。

坦庵さんってすごい人だったんだね~

さっそく、韮山反射炉に行ってみよう!