伊豆の国市の四季

閉じる

ホーム > 伊豆の国市の観光 > 富士山・みどころ

ここから本文です。

W

富士山・みどころ

伊豆の国市から見える「二つの世界遺産」

蔵屋鳴沢の茶畑から見えるW世界遺産。2013年に世界遺産登録された富士山、2015年に世界遺産登録された韮山反射炉という二つの世界遺産を同時に見られるのは伊豆の国市だけです。

  • 葛城山山頂からは、日本一深い湾「駿河湾」と日本一高い山「富士山」の両方を見渡すことができる360度の大パノラマが広がります。
    時間によって変化する神秘的な富士山を見ることができます。

    市内からの富士山撮影スポット

  • 葛城山の板状節理。伊豆半島の大地は、長い時間をかけて形成されたもの。市内の至るところに、伊豆半島の成り立ちを示す痕跡や伊豆半島ユネスコ世界ジオパークの魅力的なジオサイトが多数あります。

    伊豆半島ジオパーク(外部サイトへリンク)

伊豆半島で富士山の景観No.1!

伊豆の国市は、伊豆半島のほぼ中心に位置し、富士山を見るには、近すぎず遠すぎずという距離。伊豆半島で一番きれいに富士山を
見られる場所といっても過言ではありません。眺望環境のよい伊豆の国市では、市内のいろいろな場所から、毎日、さまざまな表情の
富士山を見ることができます。特に、葛城山の山頂から見た富士山は絶景です。

  • 高さ452m葛城山の山頂には、ハイキングコースやロープウェーで行くことができます。ロープウェーでは総延長1.8kmを地上から山頂まで
    約7分半で行けます。また、ハイキングコースでは四季折々の葛城山を楽しむことができます。

  • 葛城山山頂の富士見テラスでは、ゆっくりとくつろぎながら、大自然の眺望を楽しむことができます。
    また、カフェ「葛城珈琲」や飲食「かつらぎ茶寮」で、ゆっくりと富士山を眺めることが出来ます。

関連スポット・イベント情報

世界に認められた「伊豆半島ユネスコ世界ジオパーク」

「伊豆のヨセミテ」ともいえる城山は、伊豆半島ユネスコ世界ジオパークのジオサイトにおいて象徴的な山の一つ。
むき出しになった岸壁は、クライミングやラペリング愛好者には、冬でも登れる山として魅力的です。

  • 伊豆半島を流れる南から北に向かって流れる「狩野川」とそのすぐ脇にそびえたつ「城山」のコラボは伊豆の国市ならではの眺望景観。

  • 城山は「静岡の自然100選」に選ばれた山で、元読売巨人軍の長嶋茂雄さん(読売巨人軍終身名誉監督)が
    現役時代にトレーニングで使用した山としても知られています。

関連スポット・イベント情報

  • 水晶山・大仁橋(伊豆半島ユネスコ世界ジオパーク ジオサイト)(外部サイトへリンク)

    水晶山は、大仁駅(伊豆箱根鉄道駿豆線)から徒歩約5分で行けるジオサイト。高さ67mの小さな山の頂上からは、狩野川の流れや城山、天気がよければ富士山も見ることができます。名前のとおり、かつては水晶が採掘されました。
    大仁橋は、明治時代、大仁地区と伊豆市を結ぶ狩野川に架けられた木製の橋が起源。1915年、県内で先駆けて、木製の端から鋼製トラス橋の3代目大仁橋に架け替えられました。バスの通行ができるようになったことは、人や物の移動、情報の集積だけでなく、宿泊業や観光業の発展に寄与しました。現在の大仁橋は1944年に架けられた5代目の橋。
    水晶山・大仁橋は、狩野川台風の災害遺構としても重要な意味を持っています。

  • 狩野川放水路(国土交通省管理)(伊豆半島ユネスコ世界ジオパーク ジオサイト)(外部サイトへリンク)

    長い間、地域住民の願いであった狩野川放水路は、1965年に完成。狩野川放水路の運用後、狩野川の氾濫による死者・行方不明者は
    出ていなません。狩野川放水路は、人間と自然の関わりや防災の取組を学べるジオサイト。
    隣接する狩野川資料館では、狩野川台風だけでなく、狩野川に関するさまざまな写真の展示や映像を見ることができます。

  • 城山(伊豆半島ユネスコ世界ジオパーク ジオサイト)(外部サイトへリンク)

    市内神島地区周辺の狩野川の西側にある高さ342メートルの巨大な岩山。火山の根(火山岩頸)とよばれる岩山は、1,000万~
    200万年前、伊豆半島の原形が浅い海底にあった時代、海底火山の直下でマグマがゆっくり冷えて固まったもので、現在見えている
    ゴツゴツした岩肌が、かつてマグマだった部分です。山の風貌から、古代の人たちは、山の頂上には、山の神がいると考え、神秘的な岩山として
    特別な山としてみていました。

  • 北江間横穴群(伊豆半島ユネスコ世界ジオパーク ジオサイト)(外部サイトへリンク)

    北江間の山々は隆起した海底火山の残骸であり、その表面を覆う凝灰岩(伊豆軟石)やその下の安山岩(伊豆堅石)は、
    古くから伊豆石(江間石)として石材に利用されてきました。凝灰岩の斜面には7世紀後半~8世紀中頃の横穴古墳群が展開し、
    これらは日本の葬制が土葬から火葬に移行する過程の貴重な遺跡。北江間横穴群の24号横穴で発見された石櫃には「若舎人」の銘が
    刻まれており、都から遠く離れた北伊豆の地から、都に出て皇族に仕えた役人がいたことが明らかとなりました。