更新日:2023年4月6日
ここから本文です。
韮山城跡は、戦国時代、伊勢宗瑞(通称:北条早雲)が、韮山の丘陵に築いた山城です。
明応2年(1493年)、駿河の今川氏の客将であった伊勢宗瑞が、韮山の堀越公方を攻め、伊豆に進出しました。伊豆を平定した宗瑞は、韮山城を整備し、自らの本城としました。
宗瑞の死後、2代目氏綱は、北条氏と改姓し、相模国小田原城(現在の神奈川県小田原市)に拠点を移したことにより、韮山城は伊豆地域を治める支城になりましたが、今川氏や武田氏などの戦国大名による進出に対する防御の拠点として、重要な意味を持っていました。
天正18年(1590年)3月、豊臣秀吉の小田原攻めでは、約4万の軍勢に囲まれましたが、6月に開城するまで、3ヵ月にわたる籠城戦に耐え抜きました。
北条氏滅亡後は、徳川家康の家臣である内藤信成が韮山城に入城しますが、慶長6年(1601年)に廃城となりました。廃城後は、韮山代官の御囲地となったため、その環境を大きく変えることなく、土塁や堀なども戦国時代の姿をとどめています。
市文化財課では、韮山城跡の概要パンフレットを発行しています(無料)。このパンフレットを手に、城跡の散策をしてみてはいかがでしょうか。
現在、韮山城跡は本城(龍城山)のみ階段等を整備しています。土手和田遺構群、天ヶ岳遺構群や、豊臣方の太閤陣場付城跡・本立寺付城跡・追越山付城跡・上山田付城跡・昌渓院付城跡は、私有地につき立ち入りをご遠慮ください。
夏場はイノシシも確認されています。登城の際は十分ご注意ください。
韮山城跡の概要パンフレットは、あやめ会館文化財課、伊豆の国市郷土資料館(伊豆の国市立中央図書館2階)、伊豆箱根鉄道韮山駅・伊豆長岡駅に配架しています。また、下記にてデータを参照、ダウンロードができます(データ容量により、表示するまで少々の時間がかかりますのでご注意ください)。
【韮山城跡概要パンフレット】
韮山城跡は、戦国時代のはじまりと終わりを語る、日本史上の転換点を示す城跡として、重要な城です。韮山城本城や、その背後に位置する天ヶ岳遺構群だけでなく、これらを取り囲むように豊臣軍によって築かれた付城跡(つけじろあと)などの土塁や堀も残っています。
市では、この韮山城跡を、後世に守り伝え、活用すべく、平成26年3月に『韮山城跡「百年の計」』を策定しました。この計画は、同年3月に策定した「伊豆の国市歴史文化基本構想」と連携したもので、「百年の計」は、個別の基本計画にあたります。
「百年の計」は、韮山城の調査・研究、事業の方針、「百年の計」を実現するためのみちすじ、の3本柱によって構成されています。韮山城跡の調査・研究は、発掘調査で見つかった遺構、遺物や、古文書・現地踏査についてまとめており、現在の韮山城跡研究の最先端について知ることができます。事業の方針では、「きわめる、つたえる、いかす」、をキーワードとして、各々の方針を記述しています。「百年の計」を実現するためのみちすじ、では、今後の課題について示しています。
韮山城跡を、守り伝えていくために、韮山城跡「百年の計」をもとに具体的な計画を作り、調査、保存、活用等を実施してまいります。ご理解とご協力をお願いいたします。
韮山城「百年の計」は、伊豆の国市立中央図書館、伊豆の国市郷土資料館で閲覧のほか、下記のデータにて参照、ダウンロードができます。(データ容量により、表示されるまで少々の時間がかかります。3.~5.は表示の表示時間は1分近くになります。ご了承ください。)
2.序章韮山城跡「百年の計」の策定にあたって(p1~)、第1章韮山城跡を取りまく環境(p7~p20)(PDF:2,878KB)
3.第2章韮山城跡の調査・研究1韮山城跡の研究史(p21~)、2韮山城跡の発掘調査概要(p31~p50)(PDF:9,516KB)
4.第2章3韮山城跡の測量調査(p51~p56)(PDF:6,754KB)
5.第2章4韮山城跡の構造と変遷(p57~p90)(PDF:9,839KB)
6.第2章5韮山城跡攻めの付城について(p91~)、第2章6韮山城跡遺構群をめぐる課題(p97~)(PDF:1,831KB)
7.第3章事業の目標及び方向性(p99~)、第4章事業の方針(p103~)、第5章「百年の計」を実現するためのみちすじ(p110~)(PDF:1,328KB)
PDF形式のファイルをご覧いただく場合には、Adobe Acrobat Readerが必要です。Adobe Acrobat Readerをお持ちでない方は、バナーのリンク先から無料ダウンロードしてください。
お問い合わせ先
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください